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2008年03月21日

エスペラントの言語の開発

意外と複雑なんですね。
こんな仕組みになっているとは意外な事でした

最初、ザメンホフはラテン語の復権が言語問題の解決策になると考えていたが、実際にラテン語を学ぶと難しいことに気づいた。英語を学んだ際その文法の簡単さを知り、動詞の人称変化が必要ないことに気づいた。 言語を学習するにはたくさんの単語を覚えなければならないが、街を歩いているとき偶然ロシア語で書かれた二つの看板を見て、解決策を思いついた。 швейцарская(シュヴェイツァールスカヤ 門番所)と、кондитерская(コンディテルスカヤ 菓子屋)という二つの看板には、共通して-skaja(スカーヤ 場所)という接尾辞が使われていた。 彼は一つ一つ覚えなければならない単語を、接辞を使って一つの単語から作り出すことを思いついた。語彙は多くの言語で使われているものを採用した。

1878年、現在のエスペラントのプロトタイプといえるLingwe uniwersala(リングヴェ ウニヴェルサーラ)をザメンホフはギムナジウムの同級生たちに教えた。その後6年間、まず各民族語の文学作品の翻訳と詩作に取りかかり、新しい言語の欠陥や運用上の扱いにくさを無くすことにした。ザメンホフは後の1895年にロシアのエスペランティスト、ニコライ・ボロフコに宛てた手紙に「私は6年間を言語を完璧にするために費やした。たとえそれが1878年の段階で既に出来上がっていたとしても」と書いている。彼がもう既に彼の言語を公表できる準備ができていると考えていたが、ロシア政府の検閲がそれを許さなかった。これにより公表が遅れたが、その間、彼は旧約聖書やシェークスピアの作品などをエスペラントに翻訳し、言語の改良も重ねていった。1887年、ようやく出版されたUnua Libro(最初の本)でエスペラントの基礎について紹介した。こうして今日話されているエスペラントができた。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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